奉納芸能公演@令和6年度 首里城復興祭
2024年11月3日、首里城復興祭で、琉球芸能奉納団による奉納芸能公演を見学。
下之御庭にある系図座・用物座前の野外舞台で、神歌の奉納から始まり、10演目の琉球舞踊、沖縄民謡の演奏で見応えがありました。
午前10時、神歌の奉納で、厳かな雰囲気で奉納芸能公演が始まりました。
琉球舞踊の最初の演目は、古典舞踊「かぎやで風」。
祝賀の座開きの定番です。
2番目の演目は、古典女踊「稲まづん」。 五穀の実りを象徴する稲穂を持って、豊作を予祝します。
前段の稲まづん節は、尚清王の時代までは御前風の一番歌で、「昔御前風節」とも呼ばれました。
3番目の演目は、創作舞踊「鷲の鳥」。
八重山で人気の演目です。
八重山の勤王流の場合には、諸見里秀思が振り付けて、1914(大正3)年の宮鳥御嶽改築落成結願祭で踊られました。
諸見里秀思の振付が、一般的なのかは分からないです…汗
4番目の演目は、創作舞踊「初實」。
安座間澄子により、1989(平成1)年に振り付けられました。
九年母の実を糸で貫いたように、2人の愛もしっかり結ばれている男女の踊りです。
5番目の演目は、創作舞踊「海の幸」。
阿波連本啓により、1931(昭和6)年に創作されました。
当時川崎に住んでいて、羽田沖合で漁師が投網するのにヒントを得て振り付けたそうです。
6番目の演目は、創作舞踊「鳩間節」。 雑踊「鳩間節」には、傘や櫂などの小道具を持って踊るバージョンもあって面白いですね。
7番目の演目は、雑踊「浜千鳥」。
旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う踊りです。
8番目の演目は、創作舞踊「梯梧」。
阿波連本啓により、1954(昭和27)年に創作されました。
片思いの切ない女心を表現しています。
9番目の演目は、創作舞踊「護身の舞」。
玉城盛義により、1953(昭和28)年ごろ創作されました。
空手の型の演武みたいで、恰好良かったですね。
琉球舞踊の最後の演目は、雑踊「加那ヨー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
続いて、「乙女椿」による沖縄民謡演奏がありました。
今回の奉納芸能公演は、初めて見る創作舞踊が多くて楽しめました。
琉球舞踊は、奥が深いですね。
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下之御庭にある系図座・用物座前の野外舞台で、神歌の奉納から始まり、10演目の琉球舞踊、沖縄民謡の演奏で見応えがありました。
午前10時、神歌の奉納で、厳かな雰囲気で奉納芸能公演が始まりました。
琉球舞踊の最初の演目は、古典舞踊「かぎやで風」。
祝賀の座開きの定番です。
2番目の演目は、古典女踊「稲まづん」。 五穀の実りを象徴する稲穂を持って、豊作を予祝します。
前段の稲まづん節は、尚清王の時代までは御前風の一番歌で、「昔御前風節」とも呼ばれました。
3番目の演目は、創作舞踊「鷲の鳥」。
八重山で人気の演目です。
八重山の勤王流の場合には、諸見里秀思が振り付けて、1914(大正3)年の宮鳥御嶽改築落成結願祭で踊られました。
諸見里秀思の振付が、一般的なのかは分からないです…汗
4番目の演目は、創作舞踊「初實」。
安座間澄子により、1989(平成1)年に振り付けられました。
九年母の実を糸で貫いたように、2人の愛もしっかり結ばれている男女の踊りです。
5番目の演目は、創作舞踊「海の幸」。
阿波連本啓により、1931(昭和6)年に創作されました。
当時川崎に住んでいて、羽田沖合で漁師が投網するのにヒントを得て振り付けたそうです。
6番目の演目は、創作舞踊「鳩間節」。 雑踊「鳩間節」には、傘や櫂などの小道具を持って踊るバージョンもあって面白いですね。
7番目の演目は、雑踊「浜千鳥」。
旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う踊りです。
8番目の演目は、創作舞踊「梯梧」。
阿波連本啓により、1954(昭和27)年に創作されました。
片思いの切ない女心を表現しています。
9番目の演目は、創作舞踊「護身の舞」。
玉城盛義により、1953(昭和28)年ごろ創作されました。
空手の型の演武みたいで、恰好良かったですね。
琉球舞踊の最後の演目は、雑踊「加那ヨー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
続いて、「乙女椿」による沖縄民謡演奏がありました。
今回の奉納芸能公演は、初めて見る創作舞踊が多くて楽しめました。
琉球舞踊は、奥が深いですね。
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