名護市の仲尾次豊年踊(豊年祭)
2024年10月12日~13日、名護市の仲尾次豊年踊(豊年祭)が行われました。
前日10月11日(旧暦9月9日)の御願と道ジュネー、12日の豊年祭(正日)を紹介します。
仲尾次特有の琉球舞踊(谷茶前、猩猩、高砂、平和踊り)は勿論、他の琉球舞踊、伝説劇・一名屋良むる池ぬ蛇(孝行の巻)、棒方も良かったです。
仲尾次豊年踊は、2022年までは旧暦9月9日に御願と道ジュネー、豊年祭の正日、旧暦9月10日に豊年祭の別れでした。
しかし、仕事のある人達の参加が難しかった為に、2023年から豊年祭(正日と別れ)は週末に変更されました。
10月11日(旧暦9月9日)午後2時半、ニガミヤー(根神屋)での御願から見学。
アポーフヤー(大親屋)での御願。
アポーフヤー前での、お通し(遥拝)。
方向からすると、おそらくナカグシク(中城)とウイグシク(上城)へのお通しかな?
アサギミャー(アサギ庭)横でも、お通しをしました。 方向からすると、おそらくクガニムイ(黄金森)へのお通し?
クガニムイは、『琉球国由来記』での「中尾次嶽(神名:コガネモリノ御イベ)」だと思います。
次に、公民館へ移動して、道ジュネーに参加。
まずは、アサギミャーを目指します。
アサギミャーの前で、棒術の奉納。
続いて、琉球舞踊「かぎやで風」の奉納。
昔の豊年祭では、ここで舞台芸能をしたそうです。
ハンカジョーミャー(ハンカ門庭)へ移動。
ハンカジョーミャーでの、お通し。
方向からすると、おそらくクガニムイへのお通しかな?
ここでも、棒術と琉球舞踊の奉納が行われました。
昔の豊年祭では、ここでも舞台芸能をしたそうです。
公民館へ戻ると、舞台の最後の練習の準備中。
舞台裏の楽屋(仲尾次公民館)を見学させてもらいました。
豊年祭の本番では入れないそうなので、ラッキーでした。
夕方からは、翌日の豊年祭に向けて最後の練習。
先輩方(師匠)の前で、琉球舞踊、劇、棒方などを披露。
顔の化粧はしていませんが、衣装などは本番と同じです。
最後の棒方が終わったのは、午後10時過ぎでした。
10月12日(豊年祭、正日)午後4時半過ぎ、仲尾次公民館横の野外舞台前での御願。
クガニムイ(神名:コガネモリノ御イベ)の神様をお迎えします。
午後5時半、棒方(棒術)が始まりました。
棒方は、男らしくて格好良いですね。
午後6時、舞台の豊年踊りのスタート。
最初の演目は、総踊り。
踊方の全員が舞台に登場した後に、円になって安波節で踊ります。
総踊りには、「長者の大主」が組み込まれています。
若衆と二才(筑登之、親雲上)を引き連れた長者による祝言(口上)。
若衆の踊り「かぎやで風」。
二才の踊り「口説」では、囃子が入っています。
2番目の演目は、琉球舞踊「女花笠(本嘉手久)」。
女踊で、出羽の本嘉手久節では杖、中踊りと入羽の出砂節と高袮久節では花笠を持って踊ります。
紅型が奇麗ですね。
3番目の演目は、琉球舞踊「上り口説」。
二才踊で、琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。
4番目の演目は、琉球舞踊「若衆菊持」。
菊の節句(旧暦9月9日)に相応しい若衆踊です。
5番目の演目は、琉球舞踊「下り口説」。
二才踊で、「上り口説」とは逆に、薩摩から琉球に帰って来る道行を歌っています。
6番目の演目は、琉球舞踊「谷茶前」。
首里寒水川芝居で活躍した黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
他地域と違って仲尾次の「谷茶前」では、男性は松明を持ち、また女性はトル小(ざる)を腰に付けます。
前半の女性の踊りは、牧港乙女節だと思いますが自信ありません。汗
途中で一人の松明が消えてしまいましたが、無事に他の人の火を貰いました。
7番目の演目は、琉球舞踊「浜千鳥」。
人気の演目で、豊年祭の定番の雑踊です。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容。
8番目の演目は、琉球舞踊「猩猩」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
猩猩はオランウータンの事で、猿踊りとも呼ばれています。
仲尾次でしか見られない踊りですが、1952年に中断してしまい、1981年に復活しました。
最初のヤクジャマ節と最後の鳩間節は分かるんですが、作田節(松の精)とつんだら節(山入ラバー)も入ってると思いますが自信無し…汗
9番目の演目は、琉球舞踊「加那ヨー天川」。
雑踊の中で一番好きな演目です。
恋人二人による打組踊。
10番目の演目は、琉球舞踊「高砂」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊。
黄金山により大宜味村謝名城にも伝わっているそうなので、謝名城の豊年祭にも行きたいですね。
まず高砂に合わせて、熊手を持った翁と箒を持った媼が登場します。
鶴と亀の踊りが格好良いです。
11番目の演目は、琉球舞踊「かせかけ」。
かせかけ(綛掛)は、機織りで綛にした糸をかける道具のことです。
上等な織物を恋人に作ってあげたいという思いを表現した女踊。
12番目の演目は、琉球舞踊「松竹梅」。
他地域でも豊年祭で一番人気の雑踊。
梅は、村で一番の美人が踊ったそうです。
13番目の演目は、琉球舞踊「高平良万才」。
組踊「万才敵討」から独立した二才踊です。
14番目の演目は、琉球舞踊「平和踊り」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
仲尾次でしか見られない踊りですが、1961年で中断してしまい、2006年に復活しました。
最後の蝶子節で、オシドリ、蝶、牡丹の花が入り乱れて踊るのが良かったです。
15番目の演目は、伝説劇「一名屋良むる池ぬ蛇(孝行の巻)」。
仲尾次の豊年祭では、ほぼ毎年違う劇を行うので、地元の人達には劇が一番期待されているそうです。
台詞は全てウチナー口でしたが、玉城朝薫の組踊「孝行の巻」と似ている部分があったので、なんとなく意味が分かりました。汗
豊年祭の最後は、棒方(棒術)。
仲尾次の豊年祭は、棒で始まって、棒で終わるそうです。
演武では棒の風を切る音がして、迫力がありました。
午後10時半過ぎ、豊年祭の1日目(正日)が終わりました。
とても満足したので、仲尾次の人達に感謝です。
2日目(別れ)も同様の内容で行うので、豊年祭に参加する人達は大変ですね。
地図をGoogleマップで表示
前日10月11日(旧暦9月9日)の御願と道ジュネー、12日の豊年祭(正日)を紹介します。
仲尾次特有の琉球舞踊(谷茶前、猩猩、高砂、平和踊り)は勿論、他の琉球舞踊、伝説劇・一名屋良むる池ぬ蛇(孝行の巻)、棒方も良かったです。
仲尾次豊年踊は、2022年までは旧暦9月9日に御願と道ジュネー、豊年祭の正日、旧暦9月10日に豊年祭の別れでした。
しかし、仕事のある人達の参加が難しかった為に、2023年から豊年祭(正日と別れ)は週末に変更されました。
10月11日(旧暦9月9日)午後2時半、ニガミヤー(根神屋)での御願から見学。
アポーフヤー(大親屋)での御願。
アポーフヤー前での、お通し(遥拝)。
方向からすると、おそらくナカグシク(中城)とウイグシク(上城)へのお通しかな?
アサギミャー(アサギ庭)横でも、お通しをしました。 方向からすると、おそらくクガニムイ(黄金森)へのお通し?
クガニムイは、『琉球国由来記』での「中尾次嶽(神名:コガネモリノ御イベ)」だと思います。
次に、公民館へ移動して、道ジュネーに参加。
まずは、アサギミャーを目指します。
アサギミャーの前で、棒術の奉納。
続いて、琉球舞踊「かぎやで風」の奉納。
昔の豊年祭では、ここで舞台芸能をしたそうです。
ハンカジョーミャー(ハンカ門庭)へ移動。
ハンカジョーミャーでの、お通し。
方向からすると、おそらくクガニムイへのお通しかな?
ここでも、棒術と琉球舞踊の奉納が行われました。
昔の豊年祭では、ここでも舞台芸能をしたそうです。
公民館へ戻ると、舞台の最後の練習の準備中。
舞台裏の楽屋(仲尾次公民館)を見学させてもらいました。
豊年祭の本番では入れないそうなので、ラッキーでした。
夕方からは、翌日の豊年祭に向けて最後の練習。
先輩方(師匠)の前で、琉球舞踊、劇、棒方などを披露。
顔の化粧はしていませんが、衣装などは本番と同じです。
最後の棒方が終わったのは、午後10時過ぎでした。
10月12日(豊年祭、正日)午後4時半過ぎ、仲尾次公民館横の野外舞台前での御願。
クガニムイ(神名:コガネモリノ御イベ)の神様をお迎えします。
午後5時半、棒方(棒術)が始まりました。
棒方は、男らしくて格好良いですね。
午後6時、舞台の豊年踊りのスタート。
最初の演目は、総踊り。
踊方の全員が舞台に登場した後に、円になって安波節で踊ります。
総踊りには、「長者の大主」が組み込まれています。
若衆と二才(筑登之、親雲上)を引き連れた長者による祝言(口上)。
若衆の踊り「かぎやで風」。
二才の踊り「口説」では、囃子が入っています。
2番目の演目は、琉球舞踊「女花笠(本嘉手久)」。
女踊で、出羽の本嘉手久節では杖、中踊りと入羽の出砂節と高袮久節では花笠を持って踊ります。
紅型が奇麗ですね。
3番目の演目は、琉球舞踊「上り口説」。
二才踊で、琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。
4番目の演目は、琉球舞踊「若衆菊持」。
菊の節句(旧暦9月9日)に相応しい若衆踊です。
5番目の演目は、琉球舞踊「下り口説」。
二才踊で、「上り口説」とは逆に、薩摩から琉球に帰って来る道行を歌っています。
6番目の演目は、琉球舞踊「谷茶前」。
首里寒水川芝居で活躍した黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
他地域と違って仲尾次の「谷茶前」では、男性は松明を持ち、また女性はトル小(ざる)を腰に付けます。
前半の女性の踊りは、牧港乙女節だと思いますが自信ありません。汗
途中で一人の松明が消えてしまいましたが、無事に他の人の火を貰いました。
7番目の演目は、琉球舞踊「浜千鳥」。
人気の演目で、豊年祭の定番の雑踊です。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容。
8番目の演目は、琉球舞踊「猩猩」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
猩猩はオランウータンの事で、猿踊りとも呼ばれています。
仲尾次でしか見られない踊りですが、1952年に中断してしまい、1981年に復活しました。
最初のヤクジャマ節と最後の鳩間節は分かるんですが、作田節(松の精)とつんだら節(山入ラバー)も入ってると思いますが自信無し…汗
9番目の演目は、琉球舞踊「加那ヨー天川」。
雑踊の中で一番好きな演目です。
恋人二人による打組踊。
10番目の演目は、琉球舞踊「高砂」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊。
黄金山により大宜味村謝名城にも伝わっているそうなので、謝名城の豊年祭にも行きたいですね。
まず高砂に合わせて、熊手を持った翁と箒を持った媼が登場します。
鶴と亀の踊りが格好良いです。
11番目の演目は、琉球舞踊「かせかけ」。
かせかけ(綛掛)は、機織りで綛にした糸をかける道具のことです。
上等な織物を恋人に作ってあげたいという思いを表現した女踊。
12番目の演目は、琉球舞踊「松竹梅」。
他地域でも豊年祭で一番人気の雑踊。
梅は、村で一番の美人が踊ったそうです。
13番目の演目は、琉球舞踊「高平良万才」。
組踊「万才敵討」から独立した二才踊です。
14番目の演目は、琉球舞踊「平和踊り」。
この演目も、黄金山(玉城金三)により、大正時代に伝えられた雑踊です。
仲尾次でしか見られない踊りですが、1961年で中断してしまい、2006年に復活しました。
最後の蝶子節で、オシドリ、蝶、牡丹の花が入り乱れて踊るのが良かったです。
15番目の演目は、伝説劇「一名屋良むる池ぬ蛇(孝行の巻)」。
仲尾次の豊年祭では、ほぼ毎年違う劇を行うので、地元の人達には劇が一番期待されているそうです。
台詞は全てウチナー口でしたが、玉城朝薫の組踊「孝行の巻」と似ている部分があったので、なんとなく意味が分かりました。汗
豊年祭の最後は、棒方(棒術)。
仲尾次の豊年祭は、棒で始まって、棒で終わるそうです。
演武では棒の風を切る音がして、迫力がありました。
午後10時半過ぎ、豊年祭の1日目(正日)が終わりました。
とても満足したので、仲尾次の人達に感謝です。
2日目(別れ)も同様の内容で行うので、豊年祭に参加する人達は大変ですね。
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