南風原町兼城の綱引き 2024
2024年7月31日(旧暦6月26日)、南風原町兼城の綱引き(アミシの御願綱)が行われました。
火を吹くジャー(龍蛇)が見所です。
他に、棒術や総巻(巻棒)も見応え有り。
綱引き後のジャーの川流しの儀式まで見学しました。
兼城の綱引きでは、東西に分かれて勝負します。
午後8時半頃、西陣営では棒術や旗頭が行われていました。
午後8時50分頃、カヌチ棒、東西の旗頭と綱が兼城公民館に登場。
子供の旗頭が始まりました。
続いて、大人の旗頭のガーエー。
ジャーから放たれる花火と爆竹で、光と音の洪水です。
兼城のジャーの由来は諸説ありますが、元々ジャーは女性の神だったそうです。
豊穣(雨)の神のジャーを引き寄せるために綱引きを行います。
ジャーは火を吹いて穢れを払い、村には豊年が訪れると云われています。
午後9時過ぎ、棒術(綱引き棒)の始まり。
結構本気で戦っていて見応え有り。
総巻(集団で行う棒の演技)。
棒を持った人達が、グルグル回ります。
午後9時半頃、綱寄せの開始。
担いでいる人達は、楽しそうですね。
見学していた人達も、どんどん加わっていました。
綱を放り上げて、相手を威嚇します。
東西の綱を繋ぐ、カヌチ棒が入りました。
綱引きの開始。
勝って喜ぶ西の人達。
東が勝てば豊年、西が勝てば子孫繁昌と云われています。
旗頭の演舞が始まりました。
※旗の無い棒の上の黄色い球体は、村のシンボルで「ムラトゥール(九年母灯篭)」と呼ばれています。
ジャーの川流しの儀式に向かいます。
ムラトゥールと旗頭も同行。
兼城交差点のENEOS南風原SSに到着。
旗頭とムラトゥールの演舞。
山田橋(現在のナカモト橋)の上で棒術。
ジャーとティーナ(手綱)に火を点けて燃やし、川に流します。
ジャーが、天に帰っていきます。
穢れが払われた村には豊年が訪れるそうです。
綱引き行事では、青年会の人達が、常にちびっ子達のフォローをしていました。
周りで見ていて、微笑ましかったです。
これが、伝統が引き継がれている一つの理由なのかな。
地図をGoogleマップで表示
火を吹くジャー(龍蛇)が見所です。
他に、棒術や総巻(巻棒)も見応え有り。
綱引き後のジャーの川流しの儀式まで見学しました。
兼城の綱引きでは、東西に分かれて勝負します。
午後8時半頃、西陣営では棒術や旗頭が行われていました。
午後8時50分頃、カヌチ棒、東西の旗頭と綱が兼城公民館に登場。
子供の旗頭が始まりました。
続いて、大人の旗頭のガーエー。
ジャーから放たれる花火と爆竹で、光と音の洪水です。
兼城のジャーの由来は諸説ありますが、元々ジャーは女性の神だったそうです。
豊穣(雨)の神のジャーを引き寄せるために綱引きを行います。
ジャーは火を吹いて穢れを払い、村には豊年が訪れると云われています。
午後9時過ぎ、棒術(綱引き棒)の始まり。
結構本気で戦っていて見応え有り。
総巻(集団で行う棒の演技)。
棒を持った人達が、グルグル回ります。
午後9時半頃、綱寄せの開始。
担いでいる人達は、楽しそうですね。
見学していた人達も、どんどん加わっていました。
綱を放り上げて、相手を威嚇します。
東西の綱を繋ぐ、カヌチ棒が入りました。
綱引きの開始。
勝って喜ぶ西の人達。
東が勝てば豊年、西が勝てば子孫繁昌と云われています。
旗頭の演舞が始まりました。
※旗の無い棒の上の黄色い球体は、村のシンボルで「ムラトゥール(九年母灯篭)」と呼ばれています。
ジャーの川流しの儀式に向かいます。
ムラトゥールと旗頭も同行。
兼城交差点のENEOS南風原SSに到着。
旗頭とムラトゥールの演舞。
山田橋(現在のナカモト橋)の上で棒術。
ジャーとティーナ(手綱)に火を点けて燃やし、川に流します。
ジャーが、天に帰っていきます。
穢れが払われた村には豊年が訪れるそうです。
綱引き行事では、青年会の人達が、常にちびっ子達のフォローをしていました。
周りで見ていて、微笑ましかったです。
これが、伝統が引き継がれている一つの理由なのかな。
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