奉納芸能公演@令和5年度 首里城復興祭
2023年11月3日、首里城復興祭が行われました。
下之御庭にある系図座・用物座前の野外舞台で、琉球芸能奉納団による奉納芸能公演(琉球舞踊)は見応えがありました。
地謡の生演奏は、良いですね。
最初の演目は、祝儀舞踊として座開きの定番「かぎやで風」。
2番目は、女踊「女特牛節」。
組踊「大川敵討」の第二幕「糺の場」で、乙樽が谷茶の按司を籠絡する時の踊りを独立させたものです。
立方は、人間国宝の玉城節子さんです。
3番目は、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)の様子の踊りです。
4番目は、女踊「作田」。
古典舞踊の女七踊の一つで、団扇踊とも呼ばれます。
5番目は、雑踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
沖縄本島で伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。
6番目は、雑踊「仲里節」。
相思相愛の男女の打組踊です。
大正8年の伊良波尹吉の沖縄芝居「仲里節由来記」から独立した踊りです。
元は若按司と田舎娘でしたが、最近は良家の男女の設定になっています。
7番目は、雑踊「獅子舞」。
8番目は、雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。
最後は、雑踊「加那よー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
琉球芸能奉納団の後は、舞踊集団「童舞 花わらび」の演舞でした。
見学の人達で大混雑だったので、心残りでしたが、一旦自宅に戻りました。
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下之御庭にある系図座・用物座前の野外舞台で、琉球芸能奉納団による奉納芸能公演(琉球舞踊)は見応えがありました。
地謡の生演奏は、良いですね。
最初の演目は、祝儀舞踊として座開きの定番「かぎやで風」。
2番目は、女踊「女特牛節」。
組踊「大川敵討」の第二幕「糺の場」で、乙樽が谷茶の按司を籠絡する時の踊りを独立させたものです。
立方は、人間国宝の玉城節子さんです。
3番目は、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)の様子の踊りです。
4番目は、女踊「作田」。
古典舞踊の女七踊の一つで、団扇踊とも呼ばれます。
5番目は、雑踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
沖縄本島で伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。
6番目は、雑踊「仲里節」。
相思相愛の男女の打組踊です。
大正8年の伊良波尹吉の沖縄芝居「仲里節由来記」から独立した踊りです。
元は若按司と田舎娘でしたが、最近は良家の男女の設定になっています。
7番目は、雑踊「獅子舞」。
8番目は、雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。
最後は、雑踊「加那よー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
琉球芸能奉納団の後は、舞踊集団「童舞 花わらび」の演舞でした。
見学の人達で大混雑だったので、心残りでしたが、一旦自宅に戻りました。
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