本部町の伊豆味区豊年祭(操り獅子)
2023年10月8日、本部町の伊豆味区豊年祭(別れ)を見学。
道ジュネー、棒術、琉球舞踊、操り獅子などを楽しめました。
伊豆味区豊年祭は4年に1回なので、地元の人達の思い入れも大きかったですね。
伊豆味区豊年祭は、4年に1回(5年マール)で、旧暦8月9日(スクミ)、11日(正日)、15日(別れ)に行われます。
しかし最近は、週末に行うなどの変更が行われています。
今年は、10月5、7、8日でした。
8日午後2時半頃、本部町立伊豆味小中学校の隣にある伊豆味神社に到着。
道ジュネー前に、伊豆味神社の上にある伊豆味御嶽で御願が行われますが、終わった後でした。汗
棒術が奉納されるので、見学したかったんですが残念…
伊豆味神社前では、棒部の人達が記念撮影をしていました。
暫くすると、伊豆味神社での御願が始まりました。
伊豆味村の創設に関わった6神(豆あじ、伊豆味下庫理、降口之御主前、降口之思鶴、松田大屋子、とばんがらし)が祀られています。
神社隣りのトゥヌグヮーでの御願。
午後3時過ぎ、根屋(桃原家)での御願。
午後3時半、棒術の人達を先頭に道ジュネーが始まりました。
旗頭が続きます。
舞台で奉納舞踊をする踊部の人達。
華やかな衣装で、いい雰囲気ですね。
途中、ちびっ子の踊りもありました。
道ジュネーの人達の後に付いて行きます。
伊豆味小中学校の入り口まで来ました。
旗頭が、青空に映えますね。
伊豆味神社に向かって、全員で礼拝。
踊部の人達の記念撮影。
午後4時半頃、伊豆味神社前のアサギ庭で、棒部によるスーマチが始まりました。
三角旗を付けた槍と薙刀を先頭に、グルグル廻ります。
棒術は迫力がありますね。
午後6時、野外舞台での奉納が始まりました。
まずは、豊年祭の最初に行われる長者の大主。
大主の祝言の後に、子や孫たちの踊りが続きます。
二才踊「四季口説」。
春夏秋冬の情景を歌っていて、若衆踊や二才踊に振り付けられています。
立方は、踊るだけではなく、囃子も入れるので大変ですね。
雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。
棒術の奉納。
棒術は、合計3回行われました。
場を清める意味があるのかな?
雑踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
大正時代に、沖縄芝居の伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。
二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)が歌われています。
歌詞は首里観音堂から始まり、途中の難所・七島渡、硫黄島、桜島など多くの地名が出てきて面白いですね。
雑踊「むんじゅる」。
中踊の「むんじゅる節」は、粟国島の島歌です。
玉城盛重が振り付けを行い、仲毛芝居で踊られて人気を博しました。
二才踊「前の浜」。
「前の浜」は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜の事。
組踊「微行の巻」「辺戸の大主」から独立して出来た琉球舞踊です。
女踊「長伊平屋節」。
出羽の長伊平屋節は、祝宴で演奏される御前風五節の一つです。
伊豆味の豊年祭では、この演目は神に捧げるもので、必ず上演されています。
雑踊「日傘」。
昭和9年に、玉城盛義によって振り付けられました。
最近は4人で踊ることが多いですが、本来は1人で踊ります。
唐手踊「亀の甲」
二才踊には唐手の型を取り入れたものが多いですが、この演目は唐手の要素が強くて力強いですね。
雑踊「汀間当」。
首里の役人と田舎娘の恋を表しています。
明治期に芝居小屋で、即興舞踊として踊られました。
流派によって、曲や踊りが異なるようです。
女踊「天川」。
女七踊の一つで、男女の恋愛を描いた琉球舞踊。
中踊の「仲順節」は、組踊「手水の縁」にも使われています。
二才踊「下り口説」。
「上り口説」とは逆に、琉球の役人が薩摩藩から琉球に戻る道中が歌われています。
雑踊「加那ヨー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
雑踊「松竹梅鶴亀」。
雑踊「松竹梅」は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付け足して「松竹梅鶴亀」になりました。
二才踊「高平良万才」。
組踊「万才敵討」から独立した琉球舞踊です。
最近は1人で踊られることが多いですが、兄弟(謝名の子、慶雲)の踊りなので、本来は2人で踊ります。
万歳かふす節では、通常は兄弟それぞれが獅子頭と馬頭を持ちますが、伊豆味では馬の首を腰に付けて踊っていて面白いです。
※門付芸能を表した踊りで、歌詞に馬も出てくるので、良く合っていますね。
二才踊「大願口説」。
伊豆味の豊年祭では、この演目は神に捧げるもので、必ず上演されています。
「操り獅子」。
操り獅子は、県内3ヵ所(本部町伊豆味、名護市川上、今帰仁村謝名)でのみ伝承されています。
今回見学した伊豆味の操り獅子は、「笠之段」でスローテンポから始まって次第にテンポアップ、続いて「唐船ドーイ」で盛り上がりました。
※『操り獅子調査報告書 ( 沖縄県文化財調査報告書 第148集 )』(沖縄県教育庁文化課/編 沖縄県教育委員会 2009.3)等では、「渡りざう」で始まって、「アッチャメー小」でカチャーシーとなっています。
別れの日のみの「総踊り」。
出演者達が、日の丸のゼイを持って舞台に登場します。
学生さんが楽しそうですね。
午後9時半頃、豊年祭は終了しました。
県内3ヵ所の操り獅子(本部町伊豆味、名護市川上、今帰仁村謝名)を、今回でコンプリート出来ました。笑
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道ジュネー、棒術、琉球舞踊、操り獅子などを楽しめました。
伊豆味区豊年祭は4年に1回なので、地元の人達の思い入れも大きかったですね。
伊豆味区豊年祭は、4年に1回(5年マール)で、旧暦8月9日(スクミ)、11日(正日)、15日(別れ)に行われます。
しかし最近は、週末に行うなどの変更が行われています。
今年は、10月5、7、8日でした。
8日午後2時半頃、本部町立伊豆味小中学校の隣にある伊豆味神社に到着。
道ジュネー前に、伊豆味神社の上にある伊豆味御嶽で御願が行われますが、終わった後でした。汗
棒術が奉納されるので、見学したかったんですが残念…
伊豆味神社前では、棒部の人達が記念撮影をしていました。
暫くすると、伊豆味神社での御願が始まりました。
伊豆味村の創設に関わった6神(豆あじ、伊豆味下庫理、降口之御主前、降口之思鶴、松田大屋子、とばんがらし)が祀られています。
神社隣りのトゥヌグヮーでの御願。
午後3時過ぎ、根屋(桃原家)での御願。
午後3時半、棒術の人達を先頭に道ジュネーが始まりました。
旗頭が続きます。
舞台で奉納舞踊をする踊部の人達。
華やかな衣装で、いい雰囲気ですね。
途中、ちびっ子の踊りもありました。
道ジュネーの人達の後に付いて行きます。
伊豆味小中学校の入り口まで来ました。
旗頭が、青空に映えますね。
伊豆味神社に向かって、全員で礼拝。
踊部の人達の記念撮影。
午後4時半頃、伊豆味神社前のアサギ庭で、棒部によるスーマチが始まりました。
三角旗を付けた槍と薙刀を先頭に、グルグル廻ります。
棒術は迫力がありますね。
午後6時、野外舞台での奉納が始まりました。
まずは、豊年祭の最初に行われる長者の大主。
大主の祝言の後に、子や孫たちの踊りが続きます。
二才踊「四季口説」。
春夏秋冬の情景を歌っていて、若衆踊や二才踊に振り付けられています。
立方は、踊るだけではなく、囃子も入れるので大変ですね。
雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。
棒術の奉納。
棒術は、合計3回行われました。
場を清める意味があるのかな?
雑踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
大正時代に、沖縄芝居の伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。
二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)が歌われています。
歌詞は首里観音堂から始まり、途中の難所・七島渡、硫黄島、桜島など多くの地名が出てきて面白いですね。
雑踊「むんじゅる」。
中踊の「むんじゅる節」は、粟国島の島歌です。
玉城盛重が振り付けを行い、仲毛芝居で踊られて人気を博しました。
二才踊「前の浜」。
「前の浜」は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜の事。
組踊「微行の巻」「辺戸の大主」から独立して出来た琉球舞踊です。
女踊「長伊平屋節」。
出羽の長伊平屋節は、祝宴で演奏される御前風五節の一つです。
伊豆味の豊年祭では、この演目は神に捧げるもので、必ず上演されています。
雑踊「日傘」。
昭和9年に、玉城盛義によって振り付けられました。
最近は4人で踊ることが多いですが、本来は1人で踊ります。
唐手踊「亀の甲」
二才踊には唐手の型を取り入れたものが多いですが、この演目は唐手の要素が強くて力強いですね。
雑踊「汀間当」。
首里の役人と田舎娘の恋を表しています。
明治期に芝居小屋で、即興舞踊として踊られました。
流派によって、曲や踊りが異なるようです。
女踊「天川」。
女七踊の一つで、男女の恋愛を描いた琉球舞踊。
中踊の「仲順節」は、組踊「手水の縁」にも使われています。
二才踊「下り口説」。
「上り口説」とは逆に、琉球の役人が薩摩藩から琉球に戻る道中が歌われています。
雑踊「加那ヨー天川」。
恋仲の男女の若者の様子を描いた、人気の演目。
元は芝居小屋の幕間に一人で踊られていましたが、伊良波尹吉によって大正6年頃に男女の打組踊になりました。
雑踊「松竹梅鶴亀」。
雑踊「松竹梅」は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付け足して「松竹梅鶴亀」になりました。
二才踊「高平良万才」。
組踊「万才敵討」から独立した琉球舞踊です。
最近は1人で踊られることが多いですが、兄弟(謝名の子、慶雲)の踊りなので、本来は2人で踊ります。
万歳かふす節では、通常は兄弟それぞれが獅子頭と馬頭を持ちますが、伊豆味では馬の首を腰に付けて踊っていて面白いです。
※門付芸能を表した踊りで、歌詞に馬も出てくるので、良く合っていますね。
二才踊「大願口説」。
伊豆味の豊年祭では、この演目は神に捧げるもので、必ず上演されています。
「操り獅子」。
操り獅子は、県内3ヵ所(本部町伊豆味、名護市川上、今帰仁村謝名)でのみ伝承されています。
今回見学した伊豆味の操り獅子は、「笠之段」でスローテンポから始まって次第にテンポアップ、続いて「唐船ドーイ」で盛り上がりました。
※『操り獅子調査報告書 ( 沖縄県文化財調査報告書 第148集 )』(沖縄県教育庁文化課/編 沖縄県教育委員会 2009.3)等では、「渡りざう」で始まって、「アッチャメー小」でカチャーシーとなっています。
別れの日のみの「総踊り」。
出演者達が、日の丸のゼイを持って舞台に登場します。
学生さんが楽しそうですね。
午後9時半頃、豊年祭は終了しました。
県内3ヵ所の操り獅子(本部町伊豆味、名護市川上、今帰仁村謝名)を、今回でコンプリート出来ました。笑
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