多良間島の八月踊り(仲筋)
2023年9月22日(正日)、24日(別れ)の2日間、多良間村仲筋の八月踊り(豊年祭)が行われました。
獅子舞、棒踊り、琉球舞踊、組踊、狂言など、午前10時から午後9時過ぎまで楽しめました。
21日のスクム(スクミ、仕込み)から見学したので紹介します。
多良間村仲筋の獅子舞
多良間村仲筋の総引き・棒踊り
1637年に人頭税が実施され、税を納め終わった七月の翌月八月に「八月御願」「皆納祝」が行われるようになりました。
これに踊りなどが加わり、豊年祭となっていったようです。
当初は民俗踊り(獅子舞、棒踊り、キネツキ踊りなど)のみでしたが、明治中期から組踊や古典踊りも上演されるようになりました。
9月21日に、多良間島に到着。
午後1時過ぎに、仲筋の会場・土原ウガン(土原御願所)へ。
土原ウガンは、多良間島の英雄・土原豊見親春源の親の屋敷跡と云われています。
仲筋のスクム御願は終わった後で、組踊の最後の練習が始まっていました…
塩川ではまだ始まっていなかったので、塩川で見学した後に、仲筋に戻って来ました。
日が落ちてからも、組踊や琉球舞踊などの練習は続いていました。
音楽担当の地謡座は、舞台の裏で演奏。
仲筋の正日(本番)の午前5時半、仲筋集落センターへ。
男性陣が、八月御願の料理の準備中。
料理の並べ方や向きなど、大変そうでした。
午前6時頃、料理を土原ウガンに運びました。
お供えの準備が終わると、各担当がそれぞれの拝所へ移動。
自分は北の拝所に同行しました。
北の拝所での祈願。
日が昇ってくると、豊年祭の準備が始まりました。
衣装や小道具が一杯です。
化粧や着付けなども始まりました。
出番を待つ獅子舞。
午前10時、豊年祭が始まりました。
まずは、出演者全員による総引き。
続いて、獅子舞の演舞。
魔除けの力を持つ獅子舞によって、場を清めて、豊作と繁栄を祈願します。
プログラムに載っていなかった、サーサー踊り?
キネツキ踊り。
ヤマト踊りの後、棒踊り。
2組出演して、最初がニーニン棒、2番目が唐棒。
続いて、福禄寿座踊。
「長者の大主」に通じる芸能なのかな。
祝言の内容は、琉球の国王に対して国王の治世の長久や国家の安泰を祈願しているようです。
端踊り(若衆踊り)。
沖縄本島の若衆踊りの着付けと違って、可愛いですね。
仲筋は水色でしたが、塩川は桃色でした。
端踊り(女踊り)。
二才踊り。
狂言。
現代の寸劇まで、幅広かったです。
午前の部の組踊「忠臣仲宗根豊見親組」。
午前の部とはいっても、始まったのは午後でした。汗
「忠臣仲宗根豊見親組」は、多良間島でのみ伝わっている組踊です。
内容については別にブログ(組踊「忠臣仲宗根豊見親組」@多良間島の八月踊り(仲筋))で紹介します。
午後の部の組踊「忠孝婦人(大川敵討)」。
「忠孝婦人」の内容は、伊江村民俗芸能発表会(伊江村西江上)ととけしまつり(読谷村渡慶次)で紹介しているので、ご覧になって下さい。
午後の部の獅子舞。
午後の部の総引き。
午後の部の棒踊り。
仲筋の八月踊りは、22日と23日(午前の部)を見学しました。
午前10時から午後9時過ぎまで、休憩無しで続くので、昼食のタイミングが難しかったです。
塩川の八月踊りは、次のブログで紹介します。
地図をGoogleマップで表示
獅子舞、棒踊り、琉球舞踊、組踊、狂言など、午前10時から午後9時過ぎまで楽しめました。
21日のスクム(スクミ、仕込み)から見学したので紹介します。
1637年に人頭税が実施され、税を納め終わった七月の翌月八月に「八月御願」「皆納祝」が行われるようになりました。
これに踊りなどが加わり、豊年祭となっていったようです。
当初は民俗踊り(獅子舞、棒踊り、キネツキ踊りなど)のみでしたが、明治中期から組踊や古典踊りも上演されるようになりました。
9月21日に、多良間島に到着。
午後1時過ぎに、仲筋の会場・土原ウガン(土原御願所)へ。
土原ウガンは、多良間島の英雄・土原豊見親春源の親の屋敷跡と云われています。
仲筋のスクム御願は終わった後で、組踊の最後の練習が始まっていました…
塩川ではまだ始まっていなかったので、塩川で見学した後に、仲筋に戻って来ました。
日が落ちてからも、組踊や琉球舞踊などの練習は続いていました。
音楽担当の地謡座は、舞台の裏で演奏。
仲筋の正日(本番)の午前5時半、仲筋集落センターへ。
男性陣が、八月御願の料理の準備中。
料理の並べ方や向きなど、大変そうでした。
午前6時頃、料理を土原ウガンに運びました。
お供えの準備が終わると、各担当がそれぞれの拝所へ移動。
自分は北の拝所に同行しました。
北の拝所での祈願。
日が昇ってくると、豊年祭の準備が始まりました。
衣装や小道具が一杯です。
化粧や着付けなども始まりました。
出番を待つ獅子舞。
午前10時、豊年祭が始まりました。
まずは、出演者全員による総引き。
続いて、獅子舞の演舞。
魔除けの力を持つ獅子舞によって、場を清めて、豊作と繁栄を祈願します。
プログラムに載っていなかった、サーサー踊り?
キネツキ踊り。
ヤマト踊りの後、棒踊り。
2組出演して、最初がニーニン棒、2番目が唐棒。
続いて、福禄寿座踊。
「長者の大主」に通じる芸能なのかな。
祝言の内容は、琉球の国王に対して国王の治世の長久や国家の安泰を祈願しているようです。
端踊り(若衆踊り)。
沖縄本島の若衆踊りの着付けと違って、可愛いですね。
仲筋は水色でしたが、塩川は桃色でした。
端踊り(女踊り)。
二才踊り。
狂言。
現代の寸劇まで、幅広かったです。
午前の部の組踊「忠臣仲宗根豊見親組」。
午前の部とはいっても、始まったのは午後でした。汗
「忠臣仲宗根豊見親組」は、多良間島でのみ伝わっている組踊です。
内容については別にブログ(組踊「忠臣仲宗根豊見親組」@多良間島の八月踊り(仲筋))で紹介します。
午後の部の組踊「忠孝婦人(大川敵討)」。
「忠孝婦人」の内容は、伊江村民俗芸能発表会(伊江村西江上)ととけしまつり(読谷村渡慶次)で紹介しているので、ご覧になって下さい。
午後の部の獅子舞。
午後の部の総引き。
午後の部の棒踊り。
仲筋の八月踊りは、22日と23日(午前の部)を見学しました。
午前10時から午後9時過ぎまで、休憩無しで続くので、昼食のタイミングが難しかったです。
塩川の八月踊りは、次のブログで紹介します。
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