八重瀬町東風平のシーシマーイ
8月11日(旧暦7月14日、旧盆2日目)の午後、八重瀬町東風平でシーシマーイ(獅子舞の御願廻り)を見学。
4か所の拝所での御願がメインで、獅子舞の演舞はありませんでしたが、獅子舞が大切にされているのが分かりました。
その後、1966年に神谷房吉さんの獅子頭に代替わりしています。
現在の獅子頭が神谷さんによるものなのか、さらに代替わりしいているのかは未調査です。汗
シーシマーイ自体は東風平公民館から始まります。
その前に、東風平之殿(城門中)に安置されている獅子舞を迎えに行きます。
下の写真は、東風平之殿での御願の様子。
東風平之殿を出発して、東風平公民館を目指します。
公民館に到着した獅子舞。
公民館のヒヌカン(火の神)への拝み。
公民館を出発して、シーシマーイの始まり。
まずは、上地嶺之殿(上大城門中)へ。
上地嶺之殿での御願の様子。
蒲鉾などで、獅子舞に御もてなし。
神屋の前で、獅子舞が3回廻ります。
厄除けの意味があるようです。
次の神谷之殿(ノンドンチ)での御願の様子。
ここでも、獅子舞に御もてなし。
獅子舞も尾を振って喜んでました。
獅子舞が3回廻ります。
東風平之殿に戻って御願。
やっぱり、獅子舞が3回廻ります。
最後に佐久真之殿(佐久真門中)での御願。
獅子舞に御もてなしする時の顔が優しいですね。
獅子舞も3回廻って役割を果たします。
御願廻りが終わって、獅子舞は東風平之殿へ戻ります。
佐久真之殿には、立派なヒンプンがありました。
旧暦8月16・17日の豊年祭には、獅子舞の演舞が行われます。
しかし今年もコロナの影響で、豊年祭を行うか未定だそうです。
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4か所の拝所での御願がメインで、獅子舞の演舞はありませんでしたが、獅子舞が大切にされているのが分かりました。
「東風平の獅子舞」魔除けとしての獅子加那志東風平の獅子頭は戦争で焼失してしまい、戦後1946年に謝花清孝さんによって製作されました。
130年程前に、東風平村に天然痘が大流行しました。そこで村の有志が集まり魔除けとして獅子加那志を仕立て、村人の健康と豊年を祈願して道行列(ミチズネイ)をしたのがはじまりと伝えられています。
出典:八重瀬町観光物産協会 八重瀬観光サイト
その後、1966年に神谷房吉さんの獅子頭に代替わりしています。
現在の獅子頭が神谷さんによるものなのか、さらに代替わりしいているのかは未調査です。汗
シーシマーイ自体は東風平公民館から始まります。
その前に、東風平之殿(城門中)に安置されている獅子舞を迎えに行きます。
下の写真は、東風平之殿での御願の様子。
東風平之殿を出発して、東風平公民館を目指します。
公民館に到着した獅子舞。
公民館のヒヌカン(火の神)への拝み。
公民館を出発して、シーシマーイの始まり。
まずは、上地嶺之殿(上大城門中)へ。
上地嶺之殿での御願の様子。
蒲鉾などで、獅子舞に御もてなし。
神屋の前で、獅子舞が3回廻ります。
厄除けの意味があるようです。
次の神谷之殿(ノンドンチ)での御願の様子。
ここでも、獅子舞に御もてなし。
獅子舞も尾を振って喜んでました。
獅子舞が3回廻ります。
東風平之殿に戻って御願。
やっぱり、獅子舞が3回廻ります。
最後に佐久真之殿(佐久真門中)での御願。
獅子舞に御もてなしする時の顔が優しいですね。
獅子舞も3回廻って役割を果たします。
御願廻りが終わって、獅子舞は東風平之殿へ戻ります。
佐久真之殿には、立派なヒンプンがありました。
旧暦8月16・17日の豊年祭には、獅子舞の演舞が行われます。
しかし今年もコロナの影響で、豊年祭を行うか未定だそうです。
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