名護市の数久田区豊年祭 その2(琉球舞踊・組踊)
名護市の数久田区豊年祭 その2では、琉球舞踊と組踊「久志の若按司」、2回目の棒術を紹介。
道ジュネーと1回目の棒術は、前回のブログ:名護市の数久田区豊年祭 その1(道ジュネー・棒術)をご覧ください。
1回目の棒術が終わると、会場に机と椅子を設置して、琉球舞踊のスタート。
数久田の踊りは、数久田流と云って、舞踊研究所などの所作と異なることが多いのが見所です。
まずは、舞踊部全員による「総踊り」。
続いて、祝儀舞踊「長者の大主」。
地域によっては獅子舞が出たり、祝詞が異なるので面白い演目です。
数久田の場合には、「クッカラアマクサ」という大和風の踊りが入ります。
さらに、親雲上の滑稽踊り。
数久田の「長者の大主」は、他地域とは全く違いますね。
3演目めは、二才踊りの定番「上り口説」。
続いて、若衆踊り「辺野喜節」。
舞台のプログラムは、最後の組踊まで22演目あります。
全部は載せられないので、幾つか琉球舞踏をピックアップ。
男女の組打ち踊りの「仲里節」。
この着付けは、初めてみました。
豊年祭の定番の雑踊り「浜千鳥」。
大和風の「秋の踊り」。
古典女踊り「綛かけ」。
豊年祭の一番人気の定番で、雑踊り「松竹梅」。
鶴と亀が入っているので、「松竹梅鶴亀」または「五福の舞」とも呼びます。
元々は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まり。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付けたして現在の形になりました。
午後10時頃に、22番目の演目で組踊「久志の若按司」の始まり。
謝名大主は、君主である天願按司をだまし討ちにした敵役です。
天願按司の子供の若按司・千代松と乙鶴を取り逃がし、その従兄の久志若按司の仕返しを恐れています。
そこで、部下の富盛大主や川崎比屋たちに、千代松と乙鶴を始末するよう命じます。
逃げ延びた千代松と乙鶴は、宿を取ろうとします。
しかし、謝名大主の報復を恐れて、宿主は断ってしまいます。
疲労困憊の二人は、謝名大主の手下・富盛大主に捕まってしまいます。
一方、久志の若按司たちは、千代松と乙鶴を案じて、探しています。
久志若按司は、富盛大主を捕えて千代松と乙鶴を救出。
命乞いをした富盛大主を逃がす時に、強敵の川崎比屋が久志若按司側のスパイであると偽の情報を与えます。
※川崎比屋が強すぎるので、仲間割れをさせて川崎比屋を倒す計画です。
富盛大主は謝名大主の元に戻ると、川崎比屋が敵のスパイだと報告。
久志若按司の策略に嵌った謝名大主は、強い味方の川崎比屋を処刑してしまいます。
富盛大主は、寝返った振りをして、久志若按司に伏兵をするよう伝えます。
久志若按司は、富盛大主の真意を見抜いていたので、久志の城には久志の若按司と千代松しかいないと富盛大主に偽の情報を流します。
千代松の武芸の披露は、見どころの一つ。
久志の城が手薄だと騙された富盛大主と謝名大主が登場。
久志若按司の策略によって、富盛大主と謝名大主が捕えられました。
午後11時半頃に組踊が終了すると、机と椅子を片付けて、2回目の棒術の開始。
棒術の演目は、1回目と2回目で基本同じで総巻きから始まりました。
しかし2回目には、下の写真のように笑いを取る場面も。
1回目には無かった、三人組の型。
これは、余興に近かったかも。
棒術が終わったのは、午前0時を回っていました。
午後5時からの長丁場でしたが、大満足。
地図をGoogleマップで表示
道ジュネーと1回目の棒術は、前回のブログ:名護市の数久田区豊年祭 その1(道ジュネー・棒術)をご覧ください。
1回目の棒術が終わると、会場に机と椅子を設置して、琉球舞踊のスタート。
数久田の踊りは、数久田流と云って、舞踊研究所などの所作と異なることが多いのが見所です。
まずは、舞踊部全員による「総踊り」。
続いて、祝儀舞踊「長者の大主」。
地域によっては獅子舞が出たり、祝詞が異なるので面白い演目です。
数久田の場合には、「クッカラアマクサ」という大和風の踊りが入ります。
さらに、親雲上の滑稽踊り。
数久田の「長者の大主」は、他地域とは全く違いますね。
3演目めは、二才踊りの定番「上り口説」。
続いて、若衆踊り「辺野喜節」。
舞台のプログラムは、最後の組踊まで22演目あります。
全部は載せられないので、幾つか琉球舞踏をピックアップ。
男女の組打ち踊りの「仲里節」。
この着付けは、初めてみました。
豊年祭の定番の雑踊り「浜千鳥」。
大和風の「秋の踊り」。
古典女踊り「綛かけ」。
豊年祭の一番人気の定番で、雑踊り「松竹梅」。
鶴と亀が入っているので、「松竹梅鶴亀」または「五福の舞」とも呼びます。
元々は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まり。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付けたして現在の形になりました。
午後10時頃に、22番目の演目で組踊「久志の若按司」の始まり。
謝名大主は、君主である天願按司をだまし討ちにした敵役です。
天願按司の子供の若按司・千代松と乙鶴を取り逃がし、その従兄の久志若按司の仕返しを恐れています。
そこで、部下の富盛大主や川崎比屋たちに、千代松と乙鶴を始末するよう命じます。
逃げ延びた千代松と乙鶴は、宿を取ろうとします。
しかし、謝名大主の報復を恐れて、宿主は断ってしまいます。
疲労困憊の二人は、謝名大主の手下・富盛大主に捕まってしまいます。
一方、久志の若按司たちは、千代松と乙鶴を案じて、探しています。
久志若按司は、富盛大主を捕えて千代松と乙鶴を救出。
命乞いをした富盛大主を逃がす時に、強敵の川崎比屋が久志若按司側のスパイであると偽の情報を与えます。
※川崎比屋が強すぎるので、仲間割れをさせて川崎比屋を倒す計画です。
富盛大主は謝名大主の元に戻ると、川崎比屋が敵のスパイだと報告。
久志若按司の策略に嵌った謝名大主は、強い味方の川崎比屋を処刑してしまいます。
富盛大主は、寝返った振りをして、久志若按司に伏兵をするよう伝えます。
久志若按司は、富盛大主の真意を見抜いていたので、久志の城には久志の若按司と千代松しかいないと富盛大主に偽の情報を流します。
千代松の武芸の披露は、見どころの一つ。
久志の城が手薄だと騙された富盛大主と謝名大主が登場。
久志若按司の策略によって、富盛大主と謝名大主が捕えられました。
午後11時半頃に組踊が終了すると、机と椅子を片付けて、2回目の棒術の開始。
棒術の演目は、1回目と2回目で基本同じで総巻きから始まりました。
しかし2回目には、下の写真のように笑いを取る場面も。
1回目には無かった、三人組の型。
これは、余興に近かったかも。
棒術が終わったのは、午前0時を回っていました。
午後5時からの長丁場でしたが、大満足。
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