南城市大里の大城区豊年祭(シタク大綱曳)
昨日は、南城市大里大城で、10年に1回だけのシタク大綱曳を見学。
大城では、旧暦6月26日のアミシと旧暦7月17日(現在は通常ウークイ後の土曜日)の豊年祭に、綱引きが毎年行われています。
しかし、これらにはシタク(支度)は出ないので、今年の豊年祭は非常に貴重。
また、4本の旗頭も素晴らしかったですね。
午後4時半頃に大城公民館に到着すると、まだ会場の準備中。
地元の人に聞いてみると、東西の綱と旗頭は、それぞれのアシナーに運ばれているそうです。
さっそく西のアシナーへ行ってみると、旗頭の演舞が、既に始まっていました。
鉦鼓と銅鑼、ホラ貝のリズムが良いですね。
午後5時を過ぎると、大城公民館前の広場に向かって旗頭と綱の道ジュネーが始まりました。
銅鑼や太鼓、臼太鼓などを持った沢山の人達が、道ジュネーを先導します。
公民館の近くまで来ると、シタク(歴史上の人物に扮した人物)が綱の上に乗りました。
西のシタクは、本部大原、謝花大主、石川之子。
公民館前の広場で、東西の綱が相見えます。
東のシタクは、北山若按司、謝名大主、里村。
大城の綱引きは、暴れ綱と呼ばれていて、綱が上下に大きく揺さぶられます。
東西の綱を結ぶカヌチ棒は、ガンガン地面に激突。
シタク大綱引きは、東の勝利。
すぐに、東の綱を持ち上げて、喜びの舞が始まります。
臼太鼓を持った東の女性陣も、大盛り上がり。
ホラ貝や鉦鼓、銅鑼を持った男性陣も負けてません。
旗頭のガーエーも始まりました。
女性だけによる、ワカリーティー(女踊)。
手踊りや唄の雰囲気は、旧盆に行われるウスデークに似ていました。
2回目の綱引き前には、綱が旗頭と共に、会場をグルグル回ります。
綱を上に放り投げたりするので、ダイナミック。
綱引きの2回戦目。
今度は、西の勝利でした。
もちろん、西の喜びの舞が行われましたが、写真が多くなったので省略。
旗頭のガーエーもありました。
大綱引きの後は、子ども綱引き、空手の演舞、獅子舞と続きました。
ここで、海外から帰国したばかりで、疲れてダウン。
この後は、民謡ショーなど、まだまだ続きます。
今年は大城青年会のエイサーが50年目というので楽しみにしていました。
しかし獅子舞を見た後に、最後のエイサー演舞が心残りでしたが、帰宅しました。
地図をGoogleマップで表示
大城では、旧暦6月26日のアミシと旧暦7月17日(現在は通常ウークイ後の土曜日)の豊年祭に、綱引きが毎年行われています。
しかし、これらにはシタク(支度)は出ないので、今年の豊年祭は非常に貴重。
また、4本の旗頭も素晴らしかったですね。
午後4時半頃に大城公民館に到着すると、まだ会場の準備中。
地元の人に聞いてみると、東西の綱と旗頭は、それぞれのアシナーに運ばれているそうです。
さっそく西のアシナーへ行ってみると、旗頭の演舞が、既に始まっていました。
鉦鼓と銅鑼、ホラ貝のリズムが良いですね。
午後5時を過ぎると、大城公民館前の広場に向かって旗頭と綱の道ジュネーが始まりました。
銅鑼や太鼓、臼太鼓などを持った沢山の人達が、道ジュネーを先導します。
公民館の近くまで来ると、シタク(歴史上の人物に扮した人物)が綱の上に乗りました。
西のシタクは、本部大原、謝花大主、石川之子。
公民館前の広場で、東西の綱が相見えます。
東のシタクは、北山若按司、謝名大主、里村。
大城の綱引きは、暴れ綱と呼ばれていて、綱が上下に大きく揺さぶられます。
東西の綱を結ぶカヌチ棒は、ガンガン地面に激突。
シタク大綱引きは、東の勝利。
すぐに、東の綱を持ち上げて、喜びの舞が始まります。
臼太鼓を持った東の女性陣も、大盛り上がり。
ホラ貝や鉦鼓、銅鑼を持った男性陣も負けてません。
旗頭のガーエーも始まりました。
女性だけによる、ワカリーティー(女踊)。
手踊りや唄の雰囲気は、旧盆に行われるウスデークに似ていました。
2回目の綱引き前には、綱が旗頭と共に、会場をグルグル回ります。
綱を上に放り投げたりするので、ダイナミック。
綱引きの2回戦目。
今度は、西の勝利でした。
もちろん、西の喜びの舞が行われましたが、写真が多くなったので省略。
旗頭のガーエーもありました。
大綱引きの後は、子ども綱引き、空手の演舞、獅子舞と続きました。
ここで、海外から帰国したばかりで、疲れてダウン。
この後は、民謡ショーなど、まだまだ続きます。
今年は大城青年会のエイサーが50年目というので楽しみにしていました。
しかし獅子舞を見た後に、最後のエイサー演舞が心残りでしたが、帰宅しました。
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