豊見城市田頭の石獅子
豊見城市田頭の石獅子を見て来ました。
田頭の石獅子は、沖縄戦で身を挺して村の人達を守りました。
正に、村の守り神ですね。
毎年、旧暦8月15日には石獅子に御願をして観月会が行われ、現在も大切にされているそうです。
豊見城市田頭には約200年前くらいに作られた2体の石獅子があって、夫婦獅子だと云われています。
集落の西側にある石獅子は、西にある瀬長島にマジムン(魔物)が出たので、瀬長島に向けて設置されたそうです。
この西側の石獅子について、『島尻郡誌(続)』(島尻郡誌(続)編集委員会 編、南部振興会、1977-05)の685頁では、以下のように書かれています。
もう一体の石獅子は、西側の石獅子から北東に200メートルくらい離れた集落内にあります。
シジ(霊力)の高い場所と云われている字与根の数珠森に向いています。
ギザギザの歯が特徴的ですね。
沖縄の石獅子(村落獅子)には、謂れのあるものが多いので、今後も少しずつ紹介していきます。
これまでに紹介した石獅子。
南風原町字本部と字照屋の石獅子:南の島旅
南風原町字兼城の石獅子:南の島旅
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田頭の石獅子は、沖縄戦で身を挺して村の人達を守りました。
正に、村の守り神ですね。
毎年、旧暦8月15日には石獅子に御願をして観月会が行われ、現在も大切にされているそうです。
豊見城市田頭には約200年前くらいに作られた2体の石獅子があって、夫婦獅子だと云われています。
集落の西側にある石獅子は、西にある瀬長島にマジムン(魔物)が出たので、瀬長島に向けて設置されたそうです。
この西側の石獅子について、『島尻郡誌(続)』(島尻郡誌(続)編集委員会 編、南部振興会、1977-05)の685頁では、以下のように書かれています。
第二次大戦中、この字にも米軍が攻め入って来たとき、海岸に通ずる側にあるシーサーがある後方の森にはたくさんの字民が避難していた。海岸から上陸した米軍の戦車が火炎放射機を噴射しながら森をめがけて攻撃してきた。石獅子の位置は戦後に若干移動したそうですが、石獅子の傍には、森に通じる道があります。
字の人びとは、もはや逃れることもできずに半ば死を覚悟していた。ところが米軍の戦車は、急に何ものかに止められたように前進できなくなり、釘づけされたように立往生した。
いくらもがいても前進できなくなった戦車はしばらくしてあきらめたように方向を変えて他の方向に去って行った。
不思議に思った字の人たちがその現場を調べたら、実は石シーサーが戦車のキャタピラを引掛けて、その前進を防いだということがわかったということである。
戦争中に多くの字民の生命を守ったということは、このシーサーの霊験あらたかなしるしだといわれている。
もう一体の石獅子は、西側の石獅子から北東に200メートルくらい離れた集落内にあります。
シジ(霊力)の高い場所と云われている字与根の数珠森に向いています。
ギザギザの歯が特徴的ですね。
沖縄の石獅子(村落獅子)には、謂れのあるものが多いので、今後も少しずつ紹介していきます。
これまでに紹介した石獅子。
南風原町字本部と字照屋の石獅子:南の島旅
南風原町字兼城の石獅子:南の島旅
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