南風原町字本部と字照屋の石獅子
南風原町字兼城の石獅子を見た後は、さらに同じ町内の字本部と字照屋へ移動。
字本部と字照屋の石獅子にも、面白い伝説があります。
まずは、字本部の石獅子。
南風原町指定有形民俗文化財に登録されています。
本部には昔2つの石獅子があったそうですが、もう一つは消失しています。
インパクトが強いですね。
南洋の島にある石像のようです。
カメラを少し引いて、全体像。
うーん、個性的だ。
本部の石獅子は、沖縄本島南部の多くの石獅子と同じように東風平にある八重瀬(昔は火山として恐れられていた)への「フーチゲーシ(邪気返し)」として設置されました。
当時、隣同士の本部と照屋は、井戸の利権で中が悪かったそうです。
しかも、石獅子を設置してから、照屋では火災が発生。
その為に、八重瀬と同じ方向にあった照屋の人達は、本部の石獅子は照屋に向かっていると誤解しました。
2つ目の照屋の石獅子。
現在はデームイ毛にありますが、戦前は南星中学校の体育館の辺りにあったそうです。
本部と照屋の争いの元になった井戸でユンヌカー(ヨミヌカー、弓取り井泉)。
現在は使われていませんが、昔は水量は豊富で、渇水時にも枯れなかったそうです。
位置的には照屋にありますが、掘ったのは本部の人達で、普段は本部の人達が使っていたようです。
しかし、日照りが続くと照屋の人達が井戸の所有権を主張して争いの元に…
今日は、石獅子三昧の日でした。笑
南風原町本部は獅子舞でも有名なので、今度は獅子舞を見に来たいですね。
石獅子の言い伝えの参考資料:
・『南風原文化センター紀要「南風の杜」第10号』(南風原文化センター2004-03)
pp.60-62 「南風原町の石獅子に関する由来・伝説について 比嘉佑」
・『沖縄の伝説散歩』(長嶺 操 著、徳元 英隆 著、沖縄文化社、2004-11)
pp.20-21 「ヨミヌカーと石獅子」
地図をGoogleマップで表示
字本部と字照屋の石獅子にも、面白い伝説があります。
まずは、字本部の石獅子。
南風原町指定有形民俗文化財に登録されています。
本部には昔2つの石獅子があったそうですが、もう一つは消失しています。
インパクトが強いですね。
南洋の島にある石像のようです。
カメラを少し引いて、全体像。
うーん、個性的だ。
本部の石獅子は、沖縄本島南部の多くの石獅子と同じように東風平にある八重瀬(昔は火山として恐れられていた)への「フーチゲーシ(邪気返し)」として設置されました。
当時、隣同士の本部と照屋は、井戸の利権で中が悪かったそうです。
しかも、石獅子を設置してから、照屋では火災が発生。
その為に、八重瀬と同じ方向にあった照屋の人達は、本部の石獅子は照屋に向かっていると誤解しました。
そこで、照屋では、本部に対して1対の石獅子を設置。
2つとも現存していて、南風原町指定有形民俗文化財に登録されています。
2つとも現存していて、南風原町指定有形民俗文化財に登録されています。
2つ目の照屋の石獅子。
現在はデームイ毛にありますが、戦前は南星中学校の体育館の辺りにあったそうです。
本部と照屋の争いの元になった井戸でユンヌカー(ヨミヌカー、弓取り井泉)。
現在は使われていませんが、昔は水量は豊富で、渇水時にも枯れなかったそうです。
位置的には照屋にありますが、掘ったのは本部の人達で、普段は本部の人達が使っていたようです。
しかし、日照りが続くと照屋の人達が井戸の所有権を主張して争いの元に…
今日は、石獅子三昧の日でした。笑
南風原町本部は獅子舞でも有名なので、今度は獅子舞を見に来たいですね。
石獅子の言い伝えの参考資料:
・『南風原文化センター紀要「南風の杜」第10号』(南風原文化センター2004-03)
pp.60-62 「南風原町の石獅子に関する由来・伝説について 比嘉佑」
・『沖縄の伝説散歩』(長嶺 操 著、徳元 英隆 著、沖縄文化社、2004-11)
pp.20-21 「ヨミヌカーと石獅子」
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